【日記】娘と初めて2日間離れた連休に改めて思うこと

おはようございます。
昨日から娘がバスケの合宿に行き、息子と二人で過ごす連休真っ只中です。
今日は思ったことを率直に、徒然なるままに。
娘とはたまに大きな喧嘩をするんです。
喧嘩の理由としては色々ありますが、弟への嫉妬心から、弟に強く当たったりする様子を見て、最初は話を聞いてみるものの、娘の対応をとても理不尽だと感じてしまうことがあり…
そこから喧嘩に発展してしまいます。
事の大小はさておき、娘は娘できっと普段我慢している瞬間も沢山ある。
(息子も息子であると思うし、きっとお互いさまだけれど)
私ひとりで補いきれずに、うまく対処できない時のほうが多いと思います。
お互いの気持ちを汲み取った上で仏のようにおだやかに…
とは、なかなかいきません。。。
日常はとても忙しなく、そして何より私の未熟さゆえにきっと不完全な瞬間も多いでしょう。
そんな背景もあり、娘とはよく喧嘩をします。
我が家のルールは、”すぐに仲直りする”。
実にこれだけは守るように心がけているのですが、気持ちを切り替えられないレベルでいうと、私のほうが下だったりするかもしれません。
(反省につぐ反省…)
実は合宿前日の夜も、小さなことから始まり喧嘩→仲直りをして眠りについたのでした。
それもあってか、はたまたそれがなくてもか、今回は、遠方で物理的な距離が離れるからか、朝の改札での見送り後、息子と歩いている時に、自然と涙が。
寂しくて寂しくて仕方なくて、とても愛おしい気持ちになりました。
そんな経験をしての今日、改めて思うことがあるのですが。
当たり前の日常から、体を離してみる
これって、結構大切だなと思うんです。
子どもが幼いうちは、基本的には子どもと過ごす時間は多いと思います。
子どもたちが保育園・学校へ行き、私は仕事をする。
たぶん、産休育休で子どもと24時間べったり過ごしていたあのときよりも、広い面での心のキャパは広くなっています。
子どもが産まれて、愛おしくて仕方なくて
目に入れても痛くなくて、幸せで幸せで。
そういう瞬間も沢山あります。
でも、子どもといる時間と大人といる時間では、当たり前だけど責任の重さが違ったり、物の捉え方ひとつが不思議なほど変わったり。
子どもといる時間て、ありとあらゆることを気にして、時に神経すり減らして過ごしているなと思うんです。
よく言えば、真剣に向き合っている
悪く言えば、神経質になりすぎている
子どもを守ることは当たり前の責務であること
これらが重くのしかかる瞬間はきっと沢山あって、でもそれは、子どもを育てる以上、当たり前でしかなくて。
それが私の日常。
だから、その日常から、ぽんっとね、少しだけでも。
目を離してみる、体を離してみる
こうすると、日常をその枠の外から覗いてみることができるんだなぁと、改めて思ったんです。
“あ、私の過ごしている日常ってこんなに愛おしい日常だったんだ”
第三者は物事を冷静に判断しやすい、といったように、枠の外から見た世界はとても尊いものだと気付く瞬間があります。
私の場合は、娘と離れたとしても息子が常にいるわけなのでひとりの時間というわけでもないのですが息子と二人の時間に、ぽつんと小さな穴が空いた感覚。
なんかね、そんな感情を改めて思い出させてくれた今回の出来事に感謝です。
ママが、”ママである自分を傍観してみる”
それも、心の平穏を保つために必要なことかもしれないなぁと、そんなことを思ったのでつらつらと書いてみました。
まあ、明日には帰ってくるのですがね。
こんなこと言っていたら林間学校とか修学旅行とか私どうなっちゃうのでしょうね。苦笑
きっとその頃にはまた親子で成長している…
そう思いたいです。
子どもの心の成長スピードと、もうこれ以上は経験を重ねる他ない私の成長スピード。
その速度こそ子どもたちのほうが圧倒的に早いだろうけど、これからも素直に向き合っていきたいなと思いました。